4畳半から、
リユースの社会インフラへ。
― 何度でも、もう一度舞台に立つ。―

これは、成功した会社の歴史だけを振り返る物語ではない。
何もなかったところから始まり、人と出会い、
失敗し、何度も危機を迎え、そのたびに仲間と立ち上がってきた、
リステージの物語。
何もなかった。だから、何でもやった。
富山で育った少年
MY ROOTS IN TOYAMA富山県で育つ。中学校を卒業して高校へ進学するが、しばらくして退学。
その後、とび職、塗装業などを転々とする。
17歳から24歳までは、大工として働いた。
この頃は、会社をつくろうとも、経営者になろうとも思っていなかった。
ただ働いて、生きていた。
あの頃の経験が、今の自分の土台になっている。


24歳、東京へ。
A NEW STAGE AT 24ある日、父が心臓の病を患った。
父から、「兄弟のどちらかに仕事を手伝ってほしい。」と言われる。
兄と話し合った結果、私が富山を離れることになった。
24歳。友人たちのいる富山を離れ、東京へ。
父が営んでいた骨董業を手伝い始めた。
人生で最初の、大きな転機だった。
故郷を離れたあの日、人生が動き出した。
「自分で集めて、
自分で売りたい。」
父の骨董業を数か月手伝った。しかし、次第に物足りなさを感じるようになった。
「自分で商品を集めて、自分で売ってみたい。」
25歳。誰かに教えてもらったわけではない。
独学で商品を集め、古物市場へ持ち込み、オークションで販売するようになった。
やってみたい。その気持ちが、すべての始まりだった。


一軒、一軒、
訪ね歩いた。
ONE HOUSE AT A TIME
骨董品を集めるため、さまざまな県の田舎を回った。一軒、一軒、家を訪ね歩く。
当時は富山の方言が強く、標準語を話すことにも非常に苦労した。それでも、一日で集まらなければ、次の日も回った。ハイエースがいっぱいになるまで、何日でも訪ね歩いた。
いっぱいになったら、東京へ戻る。八王子の骨董市場で売る。朝の蚤の市にも出店する。
そして、また地方へ向かった。
知らない町、知らない人。それでも、扉をノックした。
最初の倉庫は、
4畳半だった。
A 4.5 TATAMI WAREHOUSE
26歳頃。初めて「倉庫」を借りた。
それは――八王子の古いマンションの、4畳半の一室。
大きな倉庫もない。社員もいない。資金もない。
集めた商品を4畳半の部屋に運び込み、売っては、また集めに行く。
現在のリステージの物流拠点の原点は、この4畳半だった。
小さな部屋が、すべての始まりだった。


今日のガソリン代を稼ぐ。
EARNING TODAY'S FUEL当時を振り返れば、「今考えると、チンピラそのものだったと思う。」
アルバイトの面接にも通らない。ガソリンスタンド。シロアリ駆除。
標準語もうまく話せない。友達ありきだった自分に、東京では友達もいない。
毎月の養育費と、自分の生活費も十分に稼げない。
早朝から粗大ごみを見て回り、売れそうなものを探したこともあった。
今日のガソリン代。今日の食事代。それを何とか稼ぐことに、必死だった。
仕事がなければ、今日のガソリン代もない。でも、やるしかなかった。
人との出会いが、商売を変えていった。
骨董から、
リユースへ。
FROM ANTIQUES TO REUSE
27歳〜32歳|「Restage」が生まれる
商品を集め続けていると、骨董品や古道具より、比較的年式の新しい家具や家電などが集まるようになった。
同業者から、ある古物オークションを紹介され、リサイクル品を持ち込むようになる。
さらに、「そんなに荷物が集まるなら、横浜の大きな古物市場へ持って行った方がいい。」と紹介される。
27歳。商売が「骨董」から「リユース」へ変わり始めた。
人との出会いが、商売の景色を変えた。


電話帳と、
一冊のノート。
PHONE BOOK AND A NOTEBOOK
もっと商品を集めたい。そこで考えた。「不用品は、どこから出るのか。」
電話帳を開き、不用品が出そうな会社を探した。東京・神奈川の中間処分場。引越会社。
一社ずつノートに書き写し、ひたすら訪問営業をした。
その頃、父から言われた。「思ったことや、事業の構想はノートに書いた方がいい。」
それから、営業先だけではなく、思いついたこと。やってみたい商売。事業の構想。すべてノートに書くようになった。
CRMもない。営業リストもない。事業計画書もない。あったのは、電話帳と一冊のノートだった。
そして、この習慣は今にもつながっている。考える。書く。シミュレーションする。そして動く。
思いついたことは、まず書いてみる。
「Restage」という名前。
THE NAME 'RESTAGE'毎日、限界まで働いていた。朝から夜までトラックに乗り、商品を集め、運び、売る。その毎日。
必ず通る道があった。横浜市港南区の大通り。そこに、「リステージマンション」という、当時新築だったと思われるマンションの大きな看板が立っていた。
そこには、きれいな海辺と、パラソルのある風景。
今日の売上。ガソリン代。次の仕入れ。明日の仕事。そんなことばかり考えて走っていた自分にとって、その看板を見る時間だけは、少し癒された。
そして、いつも思った。「いつか、こんな場所に行きたいな。」
毎日見ているうちに、「リステージ」という言葉が、自分にとって特別なものになった。「この名前を、自分のシンボルにできないだろうか。」そう考えるようになった。
「再び舞台に立つ」という意味を重ね、当時目にしていたLISTAGEという名前を、自分なりにRestageへ変える。
これから「Restage」を、自分のシンボルにして活動しよう。そう心に決めた。
あの看板が、人生の景色を変えた。


その名前が、
会社になった。
THAT NAME BECAME A COMPANY
訪問営業を続ける中で、ある総合物流会社の所長と取締役に出会った。
「面白いことをやっている。」そう評価してもらい、大手商社グループの会社を紹介してもらった。
そこで部長から仕事を評価され、「取引するなら、法人を作れ。」と言われる。
29歳。ずっと自分のシンボルにしようと思っていた名前を、会社の名前にした。
リステージ株式会社 設立。ここから、オフィス案件との出会いが始まった。
人との出会いが、商売を変えた。
誰も欲しがらないものを買った。
そして「チーム働きバチ」。
TEAM HATARAKI BACHI
当時、オフィス家具には買取業者がいた。しかし、それ以外のものは、ほとんどが廃棄物だった。
そこで考えた。「だったら、その『それ以外』を自分が買おう。」
家具以外のさまざまな物品を、ひたすら買い取った。誰かが「いらない」と言ったものに、もう一度価値を見つける。
そして、私を見出してくれた取引先の部長から、言われた言葉がある。「俺のチームに入れ。」「うちのチームには、働きバチしかいない。」
「我々は、チーム働きバチだ。」仕事への向き合い方。信用を積み上げること。チームで結果を出すこと。ここで学んだことは、現在のリステージにも生きている。
その後、最初のリステージ株式会社を、当時の友人に譲った。その会社は、後に社名を変えて歩みを続けることになる。
2009年。32歳。新たに株式会社リステージを設立。現在につながるリステージが、本格的に動き始めた。
捨てられるものの中に価値がある。その発見が、すべての始まりだった。

会社が潰れそうになって、生まれたもの。

集めれば集めるほど、
苦しくなった。
THE MORE I COLLECTED, THE HARDER IT GOT.
2009〜2014|最大の危機とオークション誕生
仕事は増えていった。気がつけば、一週間で4t車数十台分。
一つの市場では、降ろせる量にも限界がある。横浜。名古屋。神戸。10t車を何台も走らせ、各地の古物市場へ商品を流通させた。
しかし、一度自社倉庫へ入れる。仕分けする。もう一度積む。各地へ運ぶ。
売れば売るほど、二次運搬費がかかる。集めれば集めるほど、倉庫代がかかる。
仕事は増えている。でも、会社は苦しくなっていった。
集めた先に見えたのは、希望ではなく、限界だった。
都心の大型ホテル。
そして、助けてくれた人。
THE BIG HOTEL AND THE PEOPLE WHO HELPED
そこへ入った大型案件。都心の大型ホテル。ホテル全体から発生する、什器・備品・厨房機器・小物・雑貨類など、ありとあらゆる物品の買取。数か月工程の大規模案件だった。
そのために、4t車を1日14台〜25台分手配。厨房機器の解体作業員を1日10名手配。
ところが――案件開始から、わずか数日でストップ。直後にキャンセルをかけた。それでも、約1か月分のキャンセル費用が発生した。
二次運搬費。倉庫固定費。大量のキャンセル費用。会社が、本当に立ち行かなくなった。
当時の社員は5名。私はみんなに、「これ以上、会社を続けられないかもしれない。」と頭を下げた記憶がある。
その時、手を差し伸べてくれた人がいた。取引先の社長だった。
「あきらめるな。頑張れ。」そう言って、仕事をくれた。さらに、「仕入金額の支払いは、いつでもいい。」「何しろ復活しろ。」と言ってくれた。
社員たちも残り、一緒に戦ってくれた。
会社は、お金だけでは復活できない。「まだやれる」と信じてくれる人が必要だった。自分一人では、ここを乗り越えることはできなかった。
困難の先に、本当のつながりがあった。


「やめる前に、
これだけはやりたい。」
BEFORE QUITTING, THERE WAS SOMETHING I WANTED TO DO.
会社がなくなるかもしれない。それでも、支えてくれる人がいる。だったら、簡単に終わるわけにはいかない。
そして考えた。商売をやめる前に、どうしてもやりたかったことがある。自分たちのオークションをつくる。
同業の大御所たちから、圧力を受けることもあった。しかし、それどころではなかった。会社の生死がかかっている。
ここに、すべてをかけよう。
本当にやりたいことが、人を動かす。
2012年、
15社から始まった。
FIFTEEN COMPANIES, A NEW BEGINNING.
2012年。既存取引先15社で、リステージオークションをスタート。最初は、アナログな古物市場だった。
そして、会社が苦しい時に助けてくれた、あの取引先の社長とともに、リステージオークションへ、ひたすら商品を集め、販売していった。
宮城県大崎市にも、会場をつくった。しかし、2年で撤退。成功だけではなかった。失敗する。考える。変える。また挑戦する。
そして、荷物を集める人。運ぶ人。商品を並べる人。売る人。精算する人。朝まで片付ける人。
リステージオークションは、一人ではつくれなかった。
一人ではできない。だから、仲間がいる。


売上は伸びた。
でも、人間が限界だった。
SALES GREW. BUT PEOPLE HAD THEIR LIMITS.
2014年頃。オークションの出来高は、毎週800万円〜1,000万円規模。
しかし、すべてがアナログ。帳場入力。精算。オークション進行。
夜までオークションを行い、仕分けと片付けをすれば、翌朝になる。
売上は伸びている。でも、このままでは人間がもたない。
そこで決断した。オークションを電子化する。
成長の先に見えたのは、人の限界だった。
「物を見なければ買えない」を変える。
誰もやっていないなら、
自分たちでつくる。
IF NO ONE HAS DONE IT, WE'LL CREATE IT OURSELVES.
2014〜2016|電子化という大きな転機
2014年。システム開発会社とともに、要件定義を開始。
新しい仕組みを考える。試す。直す。また試す。
そして2016年。会員各社へ、新しいオークションについて、数か月かけて説明会を行った。
社員も、新しい運営方法を覚える。会員にも、新しい買い方を理解してもらう。
会社だけが変わっても、オークションは変わらない。みんなで、新しい市場をつくる必要があった。
みんなでつくる。それが、未来につながる。


2016年10月。
「物を見なければ買えない」
を変える。
CHANGING THE COMMON SENSE OF AUCTIONS.
電子化されたリステージオークションがスタート。
当時の古物市場には、「実際に物を見なければ仕入れはできない。」という考え方があった。
電子化によって、遠方からでも参加できる。会員集客エリアも広がる。「物を見なければ買えない」という概念を変える。
これは、現在のリステージにつながる、最大級の転機の一つになった。
しかし、これも一人では実現できなかった。社員。システム開発のパートナー。会員企業。取引先。みんなで、業界の新しいやり方に挑戦した。
場所にとらわれない。だから、もっと多くの人につながる。
東京から全国へ。そして二つの危機。
2018年、
大阪・福岡へ。
TO OSAKA, TO FUKUOKA, AND ACROSS JAPAN.
2018〜2020|大阪・福岡、そしてグループ会社
電子化の次に目指したのは、全国展開。
2018年。大阪・福岡オークションを開始。東京でできたことを全国へ広げる。
しかし――会場をつくれば成功するほど、商売は簡単ではなかった。思うようにいかない。
会員集客。商品の確保。現地での運営。さまざまな課題が出てくる。
それでも、現地で一緒に動いてくれる仲間たちと、試行錯誤を続けた。
東京で成功したやり方が、そのまま全国で通用するわけではなかった。
同じやり方は通用しない。だから、現地で考える。


2020年。
「ここで終わらせない。」
WE WON'T LET IT END HERE.
2020年。大阪会場を運営していたパートナー企業が、経営危機に陥る。
撤退する選択肢もあった。しかし、「ここで終わらせない。」
私は大阪へ引っ越した。パートナーによる運営から自社運営へ切り替え、社員・現場の仲間たちと、大阪会場の再建に取り組んだ。
その苦境の中で考えた。東京。大阪。福岡。なぜ、三つの市場を別々に運営しなければならないのか。
43歳。ここから生まれたのが、全会場同時開催 × 幹線輸送システム。
東京・大阪・福岡を、一つの市場としてつなぐ。会場間の垣根を越えて、商品が落札されるようになった。
危機が、新しい仕組みを生んだ。
つなぐことで、もっと大きな市場が生まれる。
最後は、
私が責任を果たす。
IN THE END, I WILL TAKE RESPONSIBILITY.
同じ2020年4月。もう一つ、大きな出来事が起きていた。
かつて、最初のリステージ株式会社から生まれた、ある会社。主要取引先の社内問題によって、取引が激減。事業継続が困難になり、前代表から相談を受けた。
最初のリステージから続いてきた会社。自分が始め、その後、友人へ譲った会社だった。だから、他人事にはできなかった。
会社が倒産する前に、事業を引き受けることを決めた。そして、「最後は、私が責任を果たす。」と決意した。
リステージと、その会社。二つの会社を同時に背負うことになった。
最後まで向き合う。それが、始めた者の責任だ。

会社は、数字だけでは動かない。

1.5億円から4.2億円。
それでも。
NUMBERS ARE NOT EVERYTHING.
2020〜2024|再建と第二創業
引き受けた会社の再建に取り組んだ。その後、売上 約1.5億円 → 約4.2億円まで成長した。
数字だけを見れば、再建は進んでいるように見えた。
しかし、前代表から引き継いだ社員たちと、自分の経営のやり方が合わなかった。結果として、全員が退職することになった。
ここで改めて学んだ。売上を伸ばせば、会社が良くなるわけではない。仕組みをつくれば、人がついてくるわけでもない。
会社は、数字だけでは動かない。最後は、人だ。
2024年。その会社は、リステージ環境ビジネス株式会社となり、リステージグループへ合流した。
会社は数字だけでは動かない。最後は、人だ。
2023年。
月300万円増の決断。
A BOLD DECISION TO INVEST IN TOMORROW.
その一方で、リステージオークションにも、大きな波が来ていた。
当時の東京会場は、「古くてもいい。広くて、なるべく賃料が安い方がいい。」という考えで、2拠点の倉庫を使っていた。
そこへ、賃貸契約の更新。地代が大幅に上がることになった。
ちょうど同じ頃、ある物流パートナーから、倉庫同居の提案を受ける。大型物流施設へ移れば、会社の環境は大きく変わる。
しかし――固定費は、月約300万円増える。大きなリスクだった。
一方で、その先には、物流パートナーとの協業という大きな可能性があった。
固定費を恐れて、今のまま残るか。リスクを取って、未来へ進むか。未来を選んだ。
リスクを取るか、今のままか。選んだのは、未来だった。


大きくなるために、
会社を分けた。
A NEW STRUCTURE FOR A BIGGER FUTURE.
固定費が、月約300万円増える。だったら、今までと同じ成長速度ではいけない。
もっと営業を強くする。もっとオークションを成長させる。もっと判断を速くする。それぞれの事業に、責任者を置く。
この大きな波を乗り切るためには、会社そのものを変える必要がある。そこで決断した。分社化。
環境ビジネス。ロジスティクス。オークション。そして、それらを束ねるホールディングス。
会社を分けることが目的ではなかった。急成長するために、会社の形を変えた。
会社の形を変えたのは、もっと大きくなるためだ。
自分たちだけでは、社会インフラにはなれない。
物流パートナーと考え続けた
2年間。
TWO YEARS OF THINKING TOGETHER.
大型物流施設への移転をきっかけに、物流パートナーとの関係は、単なる倉庫同居から、「一緒に何かできないか。」という関係へ変わっていった。
物流パートナーには、全国へ商品を届ける物流の力がある。リステージには、商品を引き取り、価値を見つけ、オークションで再流通させる力がある。
物流 × リユース。これを組み合わせれば、今までにない仕組みができる。そう考え、約2年間、協業スキームを考え続けた。
しかし――どうしても越えられない壁があった。
越えられない壁があった。それでも、考え続けた2年間。


最後のピースが、
足りなかった。
THE LAST PIECE WAS MISSING.
壁になったのは、廃棄物に関する法的要件。
企業や家庭から出てくるものは、すべてがリユースできるわけではない。売れるもの。売れないもの。再利用できるもの。廃棄物になるもの。
それらをどう整理し、法令を守りながら、全国規模の仕組みにするのか。何度考えても、ここをクリアできなかった。
構想はある。物流もある。リユースする力もある。でも、最後のピースが足りない。
そこで物流パートナーと話し合った。「自分たちだけで解決できないなら、できる会社と一緒にやろう。」
自分たちだけで解決できないなら、できる会社と一緒にやろう。
最後のピースとの出会い。
物流パートナーがつないでくれた
出会い。
A MEETING THAT CONNECTED THE FUTURE.
物流パートナーが出会い、リステージへつないでくれた会社。大手資源循環グループの一社。
法令。資源循環。金属。廃棄物。自分たちに足りなかった力を持っている。
そこで決めた。物流パートナー × 資源循環パートナー × リステージ。3社で、新しい仕組みをつくろう。
ここから、新しい協議が始まった。
つながったその先に、未来がある。


欲しいものが違う。
だから、組める。
DIFFERENT NEEDS CREATE A STRONGER WHOLE.
資源循環パートナーと話を続ける中で、あることに気づいた。
リステージも、資源循環パートナーも、このビジネスから収益を生み出したい。しかし、「利」とするものが違う。
リステージが集めたいのは、リユースできる物品。資源循環パートナーが強いのは、金属資源と廃棄物。そして、物流パートナーが持っているのは、全国をつなぐ物流の力。
欲しいものが競合していない。むしろ、お互いの足りないものを補える。
その時、私は確信した。「これは、最強のタッグになれる。」
異なる強みが出会えば、もっと大きな価値をつくれる。
リステージに
足りなかったもの。
WHAT RESTAGE NEEDED.
リステージには、現場をこなす力がある。商品を集める力がある。仕分けする力がある。運ぶ力がある。販売する力がある。そして、オークションがある。
しかし、大手企業と対等に付き合い、さらに大きな仕事をしていくためには、足りないものがあった。社会的信用力。
資源循環パートナーには、高い社会的信用力がある。法令や資源循環への知見がある。
そして何より、リステージという会社と向き合ってくれた。「リステージの力を、どう使えば新しいビジネスになるのか。」一緒に考えてくれる。
一つの仕事だけを見るのではなく、そこから、いくつものビジネスを生み出していく。単なる取引先ではない。一緒にビジネスをつくる仲間。
この出会いによって、リステージが目指せる未来は、さらに大きくなった。
人とつながることで、ビジネスは、もっと大きくなる。

分けたからこそ、もう一度ひとつになる。

会社の形は、
目的ではない。
THE FORM OF A COMPANY IS NOT THE GOAL.
2026年|次のリステージへ
急成長するために、会社を分けた。あの時は、それが必要だった。
しかし、次のステージで必要なものは変わった。資源循環パートナーとの本格的な提携。大手企業との協業。全国規模の環境ビジネス。そして、リユースの社会インフラへ。
これから必要なのは、会社としての規模。社会からの信用。強い組織力。
だから今度は、分けた会社を、もう一度ひとつにする。分社化が間違っていたからではない。その時、そのステージに必要な形へ変える。
4畳半の一室だった時代から、リステージはずっとそうしてきた。
そして、リステージオークション株式会社として、次の成長へ。
変わるのは形。変わらないのは、想い。
2026年、現在地。
4畳半から、
ここまで来た。
FROM A 4.5-MAT ROOM TO TODAY.
始まりは、八王子の古いマンションの4畳半。一台のハイエース。そして、一人。
そこから現在――社員22名 + アルバイト7名。
拠点は、日本橋浜町本社。東京会場|DPL三郷。大阪会場|舞洲センター。
一人でハイエースを走らせていた商売が、社員が働き、大型トラックが行き交い、全国から商品が集まり、多くの企業とつながる会社になった。
でも――まだ、完成したとは思っていない。
小さく始めた一歩が、大きなつながりをつくった。


一人で、ここまで
来たわけではない。
NOT ALONE. WE ARE HERE TOGETHER.
この道のりには、いつの時代にも、一緒に戦ってくれた人がいた。
父から、商売の入口をもらった。そして、「思ったことや事業の構想はノートに書け」と教えてもらった。
同業者から、古物オークションや横浜の古物市場を紹介してもらった。
物流会社との出会いから、商社グループの会社へつながった。取引先の部長から、「チーム働きバチ」を教わった。
会社が立ち行かなくなった時、「あきらめるな。何しろ復活しろ。」と助けてくれた人がいた。
会社が潰れそうな時にも、残って一緒に戦ってくれた社員がいた。朝まで、オークションを支えてくれた仲間がいた。電子化に挑戦してくれた人たちがいた。大阪の再建を、一緒にやってくれた人たちがいた。
物流パートナーとの出会いがあった。資源循環パートナーとの出会いがあった。そして今も、一緒に戦ってくれている社員がいる。
決断したのは、私だったかもしれない。でも、一人では何一つ実現できなかった。
今は会社を離れている人たちもいる。考え方が合わず、別々の道へ進んだ人もいる。
人がつながるから、未来はつくれる。
これからリステージをつくる人たちへ。
3つだけ、
持っていてほしい。
THREE THINGS TO CARRY WITH YOU.
これから、リステージがどれだけ大きくなっても、この会社で働く人たちに、持っていてほしいものがある。
リステージの転機は、いつも人との出会いから始まっている。一人では、ここまで来られなかった。人とのつながりを大切にし、仲間と協調して仕事をする。
できるかどうかを、何度もシミュレーションする。どうすれば成功できるのか。成功する方法を考え抜き、成功への道筋を編み出して、まず挑戦する。会社の転機はいつも、突然やってきた。その機会をつかめるよう、考え続け、準備し続ける。
「できません。」「売れません。」「価値がありません。」そこで終わらせない。誰かが不要だと言ったものに、もう一度価値を見つける。方法がなければ考える。売り方がなければつくる。いかなるものも断らず、売上に変えようとする貪欲な姿勢。それが、リステージの原点。
人がいる。機会がある。どんなものにも、価値がある。

そして、5年後。

もう一度、
舞台へ。
TO THE NEXT STAGE.
5年後。リステージオークションは、単なるオークション運営会社ではない。さまざまな企業と連携し、環境ビジネスを行っている。
オークションは、業界のスタンダードとして認識されるプラットフォームになっている。
リユース業界に入った人が、ここで商品を学び、相場を学び、仕入れを学び、販売を学ぶ。仲間と出会い、商売を学び、生計を立てられるようになる。
そして、物流会社、商社、メーカー、不動産会社、金融・リース会社、引越会社、全国のリユース企業……さまざまな企業とつながっていく。
社会に必要とされ続ける、リユースの社会インフラをつくる。
あの日、
看板を眺めていた自分へ。
TO THE ME THEN, WHO LOOKED AT THAT SIGNBOARD.
毎日、限界までトラックを走らせていた。今日の売上。ガソリン代。次の仕入れ。明日の仕事。そんなことばかり考えていた。
横浜市港南区の大通り。毎日目に入った「リステージマンション」の大きな看板。きれいな海辺と、パラソル。その看板を見る時間だけは、少し癒された。
あの頃は、今日のガソリン代を稼ぐことに必死だった。
今は、仲間たちと、「リユースの社会インフラをつくる」という未来を見ている。
あの時、看板を眺めていた自分。今、ここまで来ることができた。
いつか、こんな場所に行きたいな。


一人で、
ここまで来たわけではない。
WE ARE HERE TOGETHER.
会社が潰れそうになった。仕事が突然なくなった。撤退した。人が辞めた。失敗した。考え方が合わず、別々の道へ進んだ人もいる。
それでも――いつの時代にも、一緒に戦ってくれた人がいた。
父がいた。取引先の部長がいた。助けてくれた社長がいた。社員がいた。オークションを支えてくれた仲間がいた。電子化に挑戦してくれた人たちがいた。大阪の再建を一緒にやってくれた人たちがいた。物流パートナーとの出会いがあった。資源循環パートナーとの出会いがあった。そして今も、一緒に戦ってくれている社員がいる。
決断したのは、私だったかもしれない。でも、一人では何一つ実現できなかった。
今この会社で働いている皆さんも、すでにこの物語の登場人物です。
これからも、一緒に。

ここまでが、
私たちが歩いてきた道。
ここからは、
私たちがつくっていく道。
TO THE NEXT STAGE.
この物語の先には、今はまだ存在しないページが生まれていく。
それをつくるのは、私一人ではない。一人で始まった。でも、一人ではここまで来られなかった。
リステージの物語は、まだ途中だ。次のページをつくるのは、私たちだ。
―― 高鉾 龍何度でも、もう一度、舞台へ。
